受賞者インタビュー

ステッドラー 製図用シャープペンシル
日本人向けに開発したタフな製図用シャープペンシル
ステッドラー 製図用シャープペンシルは、日本で国内向けに開発した製品です。それまで日本ではドイツ本社が開発した製図用シャープペンシルを販売していたのですが、日本市場にマッチしませんでした。もちろん、ドイツ製の製図用シャープペンシルも良い製品だったのですが、軸が樹脂製で「しなるため書きにくい」という声がありました。
ヨーロッパの手書きは、万年筆などのインクが中心ですが、日本は鉛筆から始まります。文字も、アルファベットと比べると、日本語は、漢字やひらがななど、画数が多く細やかで複雑な文字が多い。そうした手書き文化の背景が、書くときの力加減やペンの握り方など、使用傾向の違いに表れるようです。実際、日本人はシャープペンシルをよりヘビーに使用する傾向があり、より強度のあるものが必要だと考え、開発に着手しました。
そして、1990年に誕生したのが、シルバーシリーズの「925 25」。特徴は、ボディもグリップも全て金属製であることです。低重心で安定感があり、長時間の筆記でも疲れにくい設計です。耐久性も高く、タフな作業にも長く耐えられる仕様になっています。デザインは日本のステッドラーの開発チームが担当し、発売以来、変更されていません。
プロ向けとして開発されたこの製図用シャープペンシルですが、近年は中高生の間でも人気が高まっています。プロ仕様で疲れにくい設計が評判を呼び、学校の授業や試験勉強などで使われているようです。そのきっかけは、著名なYouTuberによる紹介でした。SNSでも話題となり、若年層の間で人気に火が付きました。有名な漫画家が漫画の下描きで使っている様子がメディアで紹介され、ファンが購入するという流れもあり、多方面で広がっています。
機能から生まれたステッドラーの大黒柱
ステッドラー製図用シャープペンシルは、ステッドラーの代名詞的な商品となりました。0.3㎜から2.0㎜まで、芯の太さの種類は6種類あり、一般的な0.5㎜が一番売れています。太芯タイプの2.0㎜は、手の力が入りにくい方でも比較的使いやすいと言われています。
売れ行きは安定しており、大黒柱となる商品です。現在は、アルミ製のシルバーシリーズから派生して、樹脂製の黒やネイビーなど素材違いの製品も販売しています。
特徴は、機能に特化した、直線の多いデザインであることです。機能を突き詰めて生まれた形状で、グリップは長時間使用して手に汗握るような場面でも滑らないように加工しています。キャップの溝は、芯の入れ替えや、中に入っている消しゴムの使いやすさを考慮したデザインですが、それが結果的に装飾的な印象を与えています。筆記中に芯が詰まってしまってもスムーズに解消できるように、消しゴムにはクリーナーピンもついています。
ボディーにシャープペンシルの芯の濃さ(硬度)を表示させる窓がついていることも、特徴のひとつです。プロは、同じ0.5㎜でも、用途に応じてHや2Bなど、芯の濃さを使い分けることは珍しくありません。それが一目瞭然でわかるようにデザインしています。
使いやすいデザインは時代も世代も超えていく
時代とともに流行や人の好みの変化はあると思いますが、人間が本質的に「使いやすい」と感じるものは変わらないと考えています。そんな使いやすさに特化したステッドラー 製図用シャープペンシルは、手元から一番近い存在として、これからも建築家や学生の方々を応援していきたいと思っています。
1990年の発売から30年以上経ち、愛用していた親が子どもに勧めたり、自分のものを譲ったりするケースもあるようです。使いやすいデザインは、世代も超えられるのだと思います。
本製品を開発するにあたっては、長い期間をかけて、軸の長さやキャップやグリップに施す溝の数、くぼみの深さ、グリップの長さなど、ミリ単位で検証されていたようです。そこまで考え尽くされて完成した製品だからこそ、これからも多くの人の役立つものになると確信しています。
まねされるのは価値があり元祖である証
ロングライフデザインである秘訣は、使いやすさと流行に左右されないデザインであることだと思います。私たちがステッドラー 製図用シャープペンシルを販売してから、同業他社から似たようなデザインの商品を売り出しました。見方を変えれば、まねされるのはそれだけ本質的に価値のあるものを、最初につくり出せたからだと思います。
ステッドラー 製図用シャープペンシルの価値は、使われてこそ発揮できるものです。新規ユーザーを増やすために、学生さんたちへのアプローチにも注力しています。工業系の大学で手書き用のツールとして使い続けてもらえるように、大学の生協や販売店などでステッドラーコーナーを設けてもらっています。大学の研究室などにも出向き、必須ツールとして学生に推薦してもらえるように、地道な営業活動も行っています。その結果、毎年何十万人もの新しいユーザーが、使い始めてくれています。それが30年以上続いて、今があります。
交換用のパーツを供給していることも、ロングライフデザインであり続けている理由のひとつだと思います。交換可能なので、長く使い続けることができ、それが愛着にもつながるはずです。
(談:ステッドラー日本株式会社 村上弘晃 まとめ:西山 薫)

クレパスⓇ
子どもの創造性を育む新しい画材「クレパスⓇ」を開発
サクラクレパスのクレパスⓇは1925年に、新しい画材として誕生しました。当時の図画教育では、適切な描画材料もなく、お手本通りに描くことが重視されていたそうです。そんな図画教育に対して、画家で版画家の山本鼎(かなえ)画伯は、子どもたちの感性を尊重し、感じたままを自由にのびのび表現する「自由画」を提唱しました。サクラクレパスは、その考え方に共感し、色鮮やかに描ける画材の開発に着手。クレヨンの使いやすさと、発色の良いパステルの長所を融合し、新しい画材としてクレパスⓇを発明しました。
当時、営業担当者はクレパスⓇをリュックサックに詰め込んで、山本画伯の自由画運動とクレパスⓇを広めるために、日本中の学校を訪ねて歩いたそうです。その結果、学童用の画材として採用され、日本美術界の夜明けにもつながりました。
皆さんにも馴染のある、ヨットや花、動物の切り絵のようなモチーフでデザインされたパッケージは、1969年に採用しました。店頭でも目を引くように、子どもが親しみやすいデザインにしたそうです。2007年には、クレパスⓇを持ち運ぶ際に、ふたが開いて中身がバラバラにならないように、パッケージを固定する黒いゴムバンド付きに変更。また、中身のクレパスⓇの色がわかるように、パッケージの表面にカラーチャートを加えるなど、よりお客様の使いやすさのために少しずつ改良しています。
サクラクレパスの重要な存在、大人にもアプローチ
クレパスⓇ はロングセラー商品で、サクラクレパスにとって重要な位置付けの商品です。私たちの経営理念は「WE ARE COLORING THE FUTURE.」で、色によってお客様をはじめとする生活者の皆様の心を育み、暮らしを鮮やかに彩るという思いが込められています。クレパスⓇは、私たちの理念の根幹とも言えるブランドで、それはサクラクレパスで働く社員は皆、認識しています。各部門の社員はそれぞれ、クレパスⓇ 誕生の歴史や理念と日々の業務と照らし合わせながら、日々の業務に励んでいます。
クレパスⓇは、幼稚園や小学校で教材として指定購入をしていただく納品ルートにも力を入れています。少子化が進む中、これからもクレパスⓇ を選んでいただくために、製品の中身は改良を重ね、色づきがより良くなる研究なども継続して実施しています。
一方、クレパスⓇは小さな子ども向けというイメージが定着していますが、大人向けのマーケティングにも取り組んでいます。既にクレパスⓇを卒業されてしまった方々にも、再び使っていただくきっかけづくりや、体験の場を提供する取り組みを通じて、年代問わず使っていただける商品と認識していただくように検討を進めています。
その取り組みのひとつとして、スタンダードなクレパスⓇのほかに、「クレパスⓇ スペシャリスト」という大人向けの商品で、プロも使える高品質なクレパスⓇ や、創業90周年の2012年には、90色入り・700色入りのクレパスⓇの発売も実施しています。特に700色入りは、グラデーションの色合いが美しく、色の面白さや魅力を再発見できる商品です。
楽しい記憶を呼び覚ます変わらないデザイン
絵を描いたり色を塗ったりする行為は、人が本質的に夢中になれることだと思います。なめらかな描き心地だけでなく、色を混ぜたり、面をしっかり塗れたりすることなど、クレパスⓇだから体験できる面白さや楽しさも多々あります。子どもたちはもちろん、今、絵を描くことから遠ざかっている方々にも、クレパスⓇは彩り豊かな生活をもたらす存在でありたいと考えています。幼少期にクレパスⓇで絵を描いていた方は、もしかしたら、パッケージを見ると、手に持ったときの感覚や、紙に描いたときの感触なども思い出されるかもしれません。
時を越えて愛される、心に残るアイテムであり続けるために、私たちはクレパスⓇのパッケージデザインを大切にしています。時代に合わせて、パッケージの色味を少し明るめにするなどのマイナーチェンジは行ってきましたが、本質的な部分は変えずに守り続けています。
新しいデザインに変更するのも、話題づくりの一つの方法かもしれません。しかし、私たちはあえて「変えずに残す」選択をしています。それこそが、お客様の記憶に残り、長く愛され続けている理由の一つだと信じています。
ロングセラーブランドの信頼感は企業イメージにもつながる
クレパスⓇは、2025年に発売100周年を迎えます。このようなロングセラーブランドを保有することは、企業イメージの向上に大きく貢献していると考えます。長くお客様に選ばれ続けている商品があるという事実は、私たちの商品が信頼され、愛されている証です。社員にとっても、自社の商品に誇りを持ち、仕事へのモチベーションを高める要因にもなっています。
また、クレパスⓇの長い歴史を通じて、お客様に信頼感や安心感を持っていただける可能性もあります。クレパスⓇから想起される、懐かしさや温かみのある世界観が広く浸透していることも、私たちサクラクレパスにとって大きな強みと考えています。こうした信頼を裏切らないよう、私たちはこれからも努力を重ねていきます。
クレパスⓇのパッケージデザインの絵柄自体は、様々な企業様とのコラボ商品としての展開も実施しています。この取り組みは、クレパスⓇブランドが確立しているからできることです。ライセンス契約を結んで絵柄を提供し、クレパスⓇのパッケージデザインをあしらった生活雑貨やデジタル関連グッズなどコラボ商品を販売しています。パッケージの絵柄が生活者の目に触れる機会が増えることで、クレパスⓇのことや、絵を描く楽しさを思い出してもらえる可能性があると思っています。「レトロでかわいい」と若い世代にも人気があり、クレパスⓇを知るきっかけにもつながっていると考えています。
(談:株式会社サクラクレパス 田部浩利 まとめ:西山 薫)

ナイスタック™️
機能的で独特、両面テープの代名詞的なパッケージ
ナイスタック™️は一般ユーザー向けの両面テープで、1966年に発売しました。産業向けに販売していた両面テープを一般ユーザー向けの文房具として発売することになり、新たなブランドとしてナイスタック™️を立ち上げました。
パッケージの上部はテープの形と同じ円形で、下部はカッターが付いた箱形のデザインです。両面テープは、はく離紙とテープが貼り合わさった状態で巻かれていて、その状態のままパッケージから引き出してカッターで切る。その使い方と、貼り合わせて使う両面テープの機能が直感的に伝わるデザインとなっています。テープカッター機能のついた独特な形状は、店頭で目立たせる工夫でもあり、社内では「馬蹄型」と呼んでいます。使用後にパッケージを解体しやすいように、展開図を多少変更するなど微調整は加えていますが、見た目は変えずに、同じ形を保っています。
ナイスタック™️の一般タイプのパッケージは、赤・白・青の3色使いです。これは、ニチバンの看板商品であるセロテープⓇのパッケージに合わせたデザインで、ニチバンブランドとして統一感を持たせています。ナイスタックTMのロゴマークも2016年のリニューアル時に、セロテープⓇのロゴの書体に近づけました。それ以外もデザインは微調整していますが、形や色使い、印象などは大きく変えていません。
大切に育ててきたニチバンを代表するブランド
私たちの事業は、大きく2つの分野があります。救急絆創膏など体に貼るテープを取り扱うメディカル事業と、セロテープⓇやナイスタック™️のようなものに貼る、貼り合わせるテープを展開するテープ事業です。ナイスタック™️はセロテープⓇに続くロングセラーで、ニチバンを代表する製品のひとつと位置付けています。
ナイスタックTMは、大切に育ててきたブランドです。文房具店や量販店をはじめ、コンビニエンスストアなどでも取り扱いがあり、一般ユーザー向け両面テープに関しては大きなシェアを占めています。
粘着力や貼り合わせる素材に合わせて、ラインアップを増やしてきました。現在、15種類あり、色で分類しています。パッケージは一般タイプのトリコロールカラー以外は、白と1色を組み合わせた2色でデザインしています。
企業として持続可能な製品づくりにも取り組んでおり、ナイスタック™️の製造方法も、2023年に根本から変更しました。以前は、粘着剤をつくるときに有機溶剤に原料を溶かし、テープの基材に塗って乾かす、溶剤は気化させて回収する方法を採用していたのですが、現在は、熱で粘着剤の原料を融かす製法に切り替えました。使い勝手はそのまま変わらず、溶剤不使用でCO2排出削減につながっています。
両面テープの使用シーンを広げる、SNSと連動した情報発信
近年は、急速なペーパーレス化や、コロナ禍によるリモートワークの普及などの影響で、紙の使用が減りつつあり、それに伴い両面テープの需要も減少傾向です。子どもの工作やオフィス需要というイメージを持っている人が多いのですが、実際には色々な用途で使用できるので、特に家庭での使用が広がるように情報発信に取り組んでいます。
情報発信の場は、2023年に開設したナイスタック™️のブランドページです。
「暮らしを便利に」というテーマを掲げ、動画コンテンツや住まいと暮らしに特化したSNS「RoomClip」の投稿記事など、さまざまな使用シーンを紹介しています。たとえば、細々としたものを整理するための収納づくりや、オリジナルの家具をつくるプチDIYなどを紹介し、貼り合わせたテープと2つの素材をわかりやすく伝えています。
活用頻度を高める施策として、小巻サイズのナイスタック™️を装填でき、片手でテープを引き出して切れるテープカッターも販売しました。2022年に発売した「ナイスタック™️ 透明プラスチック用」は、家庭の中ではプラスチックや透明なシートなどの貼り合わせが多いことに気付き、テープが目立たないように開発したものです。お客様相談室に届くお客様からの声も参考にしながら、暮らしが便利になるラインアップを増やしています。
ブランドを守り続ける意思を受け継ぐ文化
弊社には「ニチバングループに関わる全ての人々の幸せを実現」するという基本理念があります。この理念のもと、新たな価値を生み出したり、今ある製品をどのように改善したりすれば、より皆さんの暮らしが豊かになるかを常に考え、営業や生産、開発など各部門が協力しながら取り組んでいます。ナイスタック™️の使用シーンを広げるための情報発信も、そのひとつです。
ナイスタック™️が両面テープの代名詞的な存在になれたのは、市場に参入したタイミングや、圧倒的な使いやすさなどの機能に加え、「両面テープといえばこの形」とパッケージで覚えてもらえたことが大きな要因だと思います。定着させるまでが大変ですが、一度定着したら提供し続ける。ブランドを守り続ける意思が各部門で受け継がれ、社員1人ひとりが守ってきました。そして「それがなくては困る」と言われるくらいまで、みんなに愛されて、初めてロングライフデザインになるのだと思います。
(談:ニチバン株式会社 鈴木麻美 まとめ:西山 薫)

ウタマロ石けん
よく落ちる洗濯石けん、 愛用者の声から“部分洗い用” で復活
東邦は1920年、西本石鹸製造所として創業しました。品質にこだわった石けんメーカーで、ウタマロシリーズを製造・販売しています。ウタマロ石けんは1957年に誕生しましたが、当時はOEMとして製造を請け負っていました。洗濯石けんの販売を企画した商社から、私たちが作る石けんの品質が最も高いと評価され、製造を任されたという経緯があります。
ウタマロ石けんが誕生した頃は、家の軒先にたらいを置いて、洗濯板と大きな石けんで洗濯物をゴシゴシ洗っていた時代です。頑固な汚れもよく落ちることが評判となり、年間300万個を販売する人気商品となりました。
しかし、60年代に入ると家庭に電気洗濯機が普及し、粉洗剤や液体洗剤も販売されるようになりました。洗濯機では固形石けんが使えないため、ウタマロ石けんの売り上げは右肩下がりで、年間100万個ほどまで落ち込んでしまいました。
1990年代後半には受注先の商社が廃業。ウタマロ石けんも廃番になる予定でしたが、元々製造していた私たちが販売を継続することになりました。その理由は、多くのお客様から「ウタマロ石けんをなくさないで!」という声が届いたからです。
洗濯機で洗濯する時代に、なぜそのような声があるのか。ウタマロ石けんの愛用者に聞いてみたところ、洗濯機だけでは落ちにくい食べこぼしの汚れや、泥汚れ、襟元の汚れなどの「部分洗い用」として使われていることがわかりました。頑固な汚れをウタマロ石けんで先に洗ってから、洗濯機で衣類全体を洗っていたのです。
そこで、全体洗い用の洗濯石けんから、部分洗い用の洗濯石けんとして売り出すことにしました。販促にも取り組み、部分洗い用としての使い方を紹介するなど、認知を高めていきました。今では年間1200万個を出荷し、多くのお客様に愛用されています。現在のメインユーザーは子育て中の親御さんで、SNSなどの口コミが愛用者を増やす後押しになっています。
固形石けんの魅力と技術を継承していく
私たちは石けん作りから始まった会社で、一番の強みは、創業から100年以上続く、品質の高い石けんを作る技術です。ウタマロ石けんは、その技術の結晶であり、東邦の原点でもあり、代表する商品であるという位置付けです。
固形石けんを作るためには、大きな設備が必要です。石けんの製法は「中和法」と「けん化法」の2つで、ウタマロ石けんは中和法。この製法で作っているメーカーは国内でも数社で、そのための装置も数台しかありません。調合するときの温度や水分管理のほか、熟練の社員が毎日の気温や湿度に合わせて、石けんの状態を見極めるという作業も必要で、とても手間もかかります。
そんな大きな設備や手間を必要とする固形石けんの販売量は、市場全体としては減少傾向です。液体洗剤をはじめ、泡で出るハンドソープやボディソープを使う人が増えており、若い人の中には「固形石けんを触ったことがない」人もいるかもしれません。実際、固形石けんメーカーも減少している状況です。
そんな中、ウタマロ石けんは、洗濯石けん市場ではシェアナンバー1。頑固な汚れもよく落ちる、高品質な石けんを100年以上作り続けている私たちだからこそ、固形石けんの魅力と技術を次世代に継承していく使命を担っていると考えています。
汚れ落ちの良さでファッション産業にも貢献
ウタマロ石けんは環境にもやさしい商品で、持続可能な社会にも貢献できると考えています。原材料の油は、外食産業で使われて廃棄される油を回収し、再度精製されたリサイクル油を使用しています。
洗濯して汚れをしっかり落とせることは、ファッション産業の環境負荷低減にもつながると考えています。特に安価なファストファッションは、購入から服を手放すまでのサイクルが短く、環境負荷の大きさは国際的な課題のひとつです。今より1年長く着ることで、日本全体で服の廃棄量を約4万トン以上削減できるというデータが、環境省のホームページなどでも公表されています。
ウタマロ石けんで、諦めていた汚れやしみなどを落とすことができると、衣類を長持ちさせることができ、古着として再流通させることもできるようになります。普段の洗濯からできることを伝えていくのは、ウタマロ石けんの役割でもあると思っています。
子育て中の親御さんからは、子どもの食べこぼしや泥んこ遊び、野球のスライディングも、ウタマロ石けんで落とすことができるので「ウタマロがあるから大丈夫。大らかな気持ちで見守れる」という声も届いています。頑固な汚れが落ちることが心理的に作用するという副次的な効果は、ウタマロ石けん独自の価値であると考えています。
ロングセラーにつながる進化の余白
ウタマロ石けんは、機能と意匠、普遍性と時代性のバランスを意識しています。頑固な汚れを落とすという、洗剤の普遍的な機能は誕生当初から変わりません。しかし、食べこぼしや化粧品汚れの質は時代とともに変化し、汚れが付着する繊維も大きく進化しています。そんな変化に対応できるように、中身の改良は絶えず行っています。
ロゴやパッケージのデザインは、少しずつブラッシュアップしていますが、印象は大きく変えていません。現在のデザインを手がけたのは、平林奈緒美さんです。現代の生活に馴染みやすいように、ディテールの調整を行いました。
石けんの色と直方体の形は、発売当初から変えていないことのひとつです。色を変えていないのは、エメラルドグリーンが一目見てウタマロ石けんだと認識できるようにするためです。昔ながらの直方体というシンプルな形状は、長い辺、短い辺、面で使ったり角を使ったりもできる自由度の高い形状なので、あえて変更していません。また、お客様は部分洗いがしやすいように、スライスしたり、細かく切ったり、削ったり、自分なりにアレンジして使われています。そういったことから、自由度の高いシンプルさは、お客様と商品を無限に進化させていける可能性を秘めていると考えており、ロングライフデザインの秘訣でもあると思っています。
(談:株式会社東邦 鎌田沙耶佳 まとめ:西山 薫)

アネッサ
人と太陽との健康な関わりをめざして
資生堂において、日焼け止め製品は歴史のある製品分野であるといえます。そのルーツは、約100年前の「ウビオリン」にあります。1980年代にはアネッサがUVB(紫外線B波)の防御効果を示す「SPF」表示のある商品を国内で初めて発売しています。これにより日焼け止め効果の選択基準をユーザーに示し、その後2000年には、率先してSPF測定法基準の制定などに取り組んできました。
日に焼けることがむしろ健康的なイメージとして広く理解されていた時代から、人と太陽とが健康的に関われるための製品開発を、アネッサは一貫して続けています。
メッセージとしての商品デザイン
パッケージデザインにおいては、2006年に「太陽系最強。」のキャッチコピーとともに、太陽光線をイメージした、特徴的な斜めキャップに金色のボトルという基本的なパッケージ像が登場しました。これが、現在の「金ミルク」の原型となるデザインです。そして2024年にブランドカラーの青を見直し、持続可能な太陽との共生を象徴するアースブルーを採用しました。
これと同時に、環境に配慮するデザインの開発に取り組み、ボトルの一部には再生樹脂を使用し、アウターパッケージには責任ある木質資源を用いた環境対応紙を採り入れています。さらに、容器の外観に影響しない機構や材質を見直し、材料の調達から廃棄、リサイクルまで、CO₂排出量を削減しており、生産においても地球にやさしいモノづくりを進めています。アネッサのパッケージデザインは大きく印象を変えることなく、「最強の日やけ止め」に相応しいサスティナブル・デザインへと進化を遂げています。
ロゴマークは、ブランドの誕生時からデザイナー松本泉の手で描かれている擬人化された太陽のイラストです。1996年に半円形の太陽マークが誕生し、今日まで基本形状を変えずに使い続けています。2024年のリデザインを始めるにあたり、過去のアーカイブを企業資料館で調査するなど、ブランドのアイデンティティを再確認しています。そうしたプロセスを通じて、太陽マークがパッケージに印刷された際に潰れないこと、スマホなどのデジタルメディアにおいて視認性をあげることなどが重要なテーマとされました。さらに最も気を使った点は、デザイン変更によって擬人化された太陽の人格が変わって見えないようにすることでした。今回はロゴの視認性を高めるための視覚調整ではなく、アネッサのブランディング強化と位置付けて細部の調整を図ったことで、ブランドの信頼感がさらに高まったと考えています。
いまあらためて問われる「太陽との共生」
こうしたパッケージのリデザインからもわかるように、「太陽との共生」というテーマとの向き合い方は、アネッサにおいてとても重要です。地球温暖化が進み、紫外線の肌への影響が大きく注目されている昨今、太陽の下ですべての人が安全に過ごせる製品を望む声は、ますます大きくなっているからです。
これは、人間だけを守ればよいという発想ではありません。アネッサがめざすのは、太陽の下で生きるすべての人や、さらには人を取り巻く地球環境ににまで貢献しながら、太陽とのより良い関係を築いていくことなのです。そのようなアネッサの姿勢を象徴するのが「太陽のもと、誰もが輝き続けられる世界へ」というブランドパーパスの実現です。アネッサのウェブサイトでは、子どもたちに太陽と身体の関係を伝える「サンシャインキッズラボ」などの啓蒙活動を展開しています。これも、製品提供だけにとどまらないアネッサのパーパス実現へ向けたアプローチです。
より良い世界を創れる美しさのために
資生堂は「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD」を掲げ、より良い健やかな世界をめざして美しさの価値を追求しています。アネッサもまさしく、そのような姿勢を象徴するブランドであると言えるでしょう。これから先も性別や年代にとらわれることなく、あらゆるお客様がその恩恵を受けられ、太陽とより良い関係を結べる、インクルーシブかつダイバーシティ指向のブランドでありたいと考えています。
(談:資生堂クリエイティブ株式会社 信藤洋二、廣川まりあ まとめ:JDP)

ミキプルーン エキストラクト
「いつも食卓にある食品」をめざして
「ミキプルーン エキストラクト(以下、ミキプルーン)」は、三基商事が製造・販売している栄養補助食品です。カリフォルニアに自社農園と国内に自社工場を持ち、プルーンの栽培から加工までを自社で行っています。
ミキプルーンの歴史は、高度経済成長期の1960年代、三基商事の創業者、門田敏量がカリフォルニアでプルーンと出会ったことから始まりました。当時の日本は、住環境や食生活の西洋化が急速に進んでいましたが、健康という概念がまだ十分に語られていなかった時代です。
そんな中、創業者が「心豊かな人生を送る上で重要なことのひとつは、食卓からの健康である」と考え、着目したのが、アメリカでヘルシーフードとして紹介されていたプルーンでした。プルーンという果実が日本人に馴染みがなかった当時、何件かの得意先にプルーンエキスを渡したところ、もっと欲しいと好評を得たというのがミキプルーンのはじまりです。そこから、健康を実現する商品をつくろうと、創業者は乾燥プルーンからエキス分を抽出した栄養補助食品を開発し、1972年にミキプルーンは誕生しました。
創業者の信念は、今も受け継がれています。私たちがミキプルーンを通じて世の中に伝えたいのは、「バランスのとれた栄養や食生活が健康な毎日に欠かせない」ということ。それだけに製品がしっかりと顧客に届けられるよう、ミキプルーンはスーパーなどの小売店には卸さず、商品の価値を実感している販売員による対面販売と、公式オンラインショップを通じて販売しているのもそのためです。
社会に広がるミキプルーンのブランドイメージ
ミキプルーンは、三基商事の看板商品です。ミキプルーンの知名度は非常に高く、2023年の調査では商品認知は86%。60代女性では98%で、親子3世代、4世代で愛用していただいている方も珍しくありません。ミキプルーンの発売以降、「健康で豊かな生活はバランスの取れた食生活から」をテーマに取り扱っている栄養補助食品は増え、他にもドイツ製の化粧品や家庭用品も手がけています。三基商事という社名より「ミキプルーン」の知名度は高く、その他の商品も「ミキプルーンが販売している商品」と認識している人も多いはずです。
瓶入りのミキプルーンは、健康的で体に優しく、安心できる商品で、そのブランドイメージが三基商事の販売する商品にも浸透しています。それは、発売当初から「健康・自然・安全」という開発ポリシーを貫き、商品の価値を丁寧に伝えながら販売してきた成果であると考えています。
そんなイメージが定着したのも、瓶入りのミキプルーンを50年以上、安定して供給できているからです。それは、販売員、包材メーカー、原料メーカーなど、関連会社の協力があってこそ、実現できていることだと思っています。
あらゆる角度でバランスが取れた健康を追求
ミキプルーンが大事にしているのは、バランスの取れた健康です。そこには、自分自身や家族の健康はもちろん、「社会の健康」も含まれます。人が健康に過ごすためには、社会が健康的であることが大前提という考えです。健康を俯瞰して捉えていますが、その考え方はミキプルーンが誕生した当初から変わっていません。環境問題や食育という言葉が浸透していなかった時代から、私たちが大事にしていることのひとつです。
ミキプルーンは、毎日の食事にプラスして使っていただく栄養補助食品で、健康食品やサプリメントという位置付けではありません。安心して食べ続けていただけるように、生産工程も安全で健康的であることに、徹底してこだわっています。
原材料のプルーンは、カリフォルニアにある自社農園で栽培し、兵庫県内にある工場でミキプルーンを製造しています。ミキプルーン総合研究所という研究機関も開設し、プルーンの魅力を解き明かすために、成分・健康効果・物性という3つの柱で分析・研究に取り組んでいます。また、健康的に働けるように、職場環境も整えています。
変わらないために変わり続ける
ロングライフなミキプルーンブランドを形づくっているのは、ミキプルーンに関わる「人」だと思います。ミキプルーンが支持されるブランドであり続けているのは、販売員の方々が価値を実感し、それを丁寧に伝えているからです。そんな販売員の方々には、ミキプルーンへの理解をより深められるように、40年前からカリフォルニアのミキプルーンの農園や国内の工場を見学していただいています。プルーンはどんな場所で育ち、生のプルーンはどんな味なのか。生産現場をオープンにすることは、ブランドへの信頼を高める効果もあると思います。
ミキプルーンは変わらない味を提供し続けるために、実は細やかに変わり続けています。たとえば、ワインはぶどうを収穫する年によって味が変わるのが魅力ですが、いつも食卓にある食品を目指すミキプルーンは“いつもの味”をお届けし続けることが信頼や安心につながります。プルーンが健康的に育つには、寒暖の差が必要です。カリフォルニアの農園では、常に天候を見ながら適切な環境を整えています。ミキプルーンはプルーンのみで作っていますから、工場のスタッフは、気温や湿度、原料のプルーンの状態も細かく見極めながら、ミキプルーンを製造しています。変えないために変わり続けていて、こうした地道な作業の積み重ねによって、変わらない味がつくられています。
テレビCMやパッケージも変わらない印象を保つために、変わり続けています。俳優の中井貴一さんに、28年間ずっと変わらず出演していただいていますが、毎年、CMは刷新し、2024年版はカリフォルニアのミキプルーン農園で撮影しました。瓶入りのパッケージは、創業者が選んだ丸みのある瓶はそのまま、パッケージの開けやすさや環境への配慮を加えながら、少しずつ変わり続けています。
(談:三基商事株式会社 杉本幹也 まとめ:西山 薫)

ファシル 防災ずきん
親心から生まれたハンドメイドの防災ずきん
ファシルは、1975年から「防災ずきん」の製造を開始しました。本社がある静岡県は東海地震が発生する確率が非常に高く、先代社長は自分の子どもを守るために、防災ずきんが必要だと考えたようです。防災ずきんは、関東大震災の頃から髪や顔を火の粉から守るものとして存在していたらしく、太平洋戦争の頃は「防空ずきん」と呼ばれていました。
そんな昔ながらの防災ずきんを復活させると周囲の人に伝えると、「今さら、そんなものが売れるわけがない」と冷ややかな反応で、相手にしてもらえなかったそうです。しかし、子どもたちの頭を守る身近な防災用品がなかったため、近所の人の協力も得て、ハンドメイドで商品化にこぎつけました。
最初の販売は、静岡市内の小学校の校門前から始まりました。入学式や学校説明会など、保護者が集まるときに出向いて校門前で販売すると、子どもの安全を守りたい親心が共感を呼び、飛ぶように売れていきました。その評判が口コミで広がり、静岡市内の小学校で入学時に揃える学校教材として学校生活協同組合で取り扱ってもらえることになりました。
1982年には、防災ずきんとしては全国で初めて日本防炎協会の防炎製品として認定を受け、日本の防災意識の高まりとともに広く普及していきました。2017年には、静岡市民が「100年先まで大切に残していきたい商品」として市民が選ぶ「しずおか葵プレミアムAWARD」にも認証されました。
日常でも非常時でも役立つフェーズフリー商品
防災ずきんは、ファシルの創業を支えた大切な商品です。売り上げはファシル全体の1割にも満たないのですが、これからも大切につくり続けていくことに迷いはありません。
誕生当初から徹底して守っていることは、品質へのこだわりです。難燃の生地と糸、綿をつかった厚手で良質なキルティングを使用し、小学生が6年間使用しても防炎性能を維持します。洗濯しても綿がかたよらない太めの糸で縫い合わせたり、名札部分をマスクや使い捨てカイロが入るポケットにしたり、防災ずきんをかぶっていても外の音が聞こえるように耳穴をつけたり、常に改良も重ねています。低学年の子どもでも、いざというとき素早くかぶれるように、あご部分のベルトは難燃性繊維を使用したゴム製にしました。
当初は意識していませんでしたが、防災ずきんは日常時にも役立つ「フェーズフリー商品」です。カバーをつけることで普段は教室の椅子用の座布団として使え、非常時は頭部を守る防災用品になります。避難先でも座布団として活用でき、東日本大震災や熊本地震の被災地には、セーブ・ザ・チルドレンを通じて多くの小中学校に届けられました。
防災ずきんは長年にわたり学校で子どもたちに使用されてきましたが、東日本大震災をきっかけに、オフィスや自宅などで備えられる大人向けの商品も開発しました。それが、防災ずきんを生活空間に馴染むデザインのカバーに入れた「防災クッション」です。民間企業などへの導入に加え、「防災ギフト」としても新たな需要の広がりを見せています。
子どもを見守る"お守り"のような存在
防災ずきんは、みんなの"お守り"のようなものだと思っています。先代社長の親心から生まれた防災用品ですが、私たちの発明品ではなく、先人の知恵から生まれたデザインです。身の安全を守るために、家にある座布団や布団をかぶって避難する、生活に根差した工夫のひとつなのだと思います。それを私たちも受け継ぎ、50年つくり続けてきました。それが、さらにこの先50年続いたら喜ばしく、それを願っています。
そのためにも、情報発信は欠かせません。そのひとつが展示会への出展です。日本各地で行われる防災用品の展示会に参加し、ファシルが開発したさまざまな防災用品を展示しています。
品質への絶対的な自信と商品への思い
社会的に本当に必要とされるものが、長く続いていくのだと思います。もし必要とされなくなれば、それは自然に淘汰されていくでしょう。だからこそ、私たちは品質を維持するために発売当初から国内生産にこだわり、一枚一枚丁寧に防災ずきんをつくり続けています。
確かな品質の北海道のメーカーのキルティング生地を使用し、縫製は全て静岡県内で行っています。品質に対して絶対的な自信を持っています。
時には、ヘルメットと比べられることもありますが、それはナンセンスです。落下物から頭を守るのは、たしかにヘルメットのほうが優れていますが、子どもの学校生活に寄り添い、座布団としても使える防災用品は、防災ずきん以外にありません。
小学校で6年間ともに過ごした防災ずきんに愛着がわき、中学生になっても使い続けている生徒もいるそうです。
利益を追求することは企業として必要ですが、それだけでは長く続かないと思います。なぜ、この防災ずきんをつくり続けるのか。商品に対する強い思いが、ロングライフデザインの根幹なのだと思います。
(談:ファシル株式会社 八木法明 まとめ:西山 薫)

あかり33N
暗闇の中に浮かぶ提灯の明かりと光の風情に魅せられて
世界的な彫刻家であるイサム・ノグチが、旅の途中に立ち寄った岐阜で伝統工芸・岐阜提灯との出会いから生まれた代表的な光の作品AKARIシリーズ。明治24年創業の株式会社オゼキは、1951年から今日に至るまで約200種類に及ぶあかりの作品を制作してきました。
イサムさんは、石の巨大な彫刻を作るアーティストでしたので大変重たい作品ばかりです。この光の彫刻〝あかり〟は、生活の中に簡単に取り入れることができて、和紙の柔らかい光が人の安らぐ空間を作ることができる。そして折りたたみができて、床に置いたり天井から吊るすなど設置も持ち運びも簡単で、なにより軽い。これを広めたいという思いからはじまりました。
ロングセラーの理由は、時代に左右されず、和紙の明かりに触れたことのない方でも、生活の中に取り入れやすくその良さを日常的にわかってもらえるからでしょう。
イサムさんは、あかりを単なる照明器具としてではなく、住空間に持ち込むことのできる「光の彫刻」と考えて制作に取り組んでおられました。シリーズの種類が多い理由もその一つです。
近代化するにしたがって、心が休まることへの需要が高まり、現代においても灯りに安らぎを求める人が増えています。昔は、田舎に行くと日本的な家屋が多く見られ、障子によって和紙を通した光は当たり前でしたが、今ではそのような光景も無くなりつつあり、和紙の柔らかい光を感じることが少なくなってきています。しかし今になって、和紙の灯りが国内外から注目され、より若い人に良さをわかってもらえるようになってきていると感じています。
和紙の光をどのようにデザインし空間の中に活かしていくかの難しさ
発売当初は、日本ではまるっきり売れず、百貨店で販売しても売れませんでした。その当時の日本は、障子や盆提灯など日常的に和紙が使われていたため、あかりシリーズがなかなか認知されない時期が続きました。しかし、イサムさんが、自分で売るからということでアメリカやヨーロッパなどの美術館やギャラリーの展示で広めたことで、あかりの良さが世界で評価され、そのことで日本の建築家が注目するようになりました。
あかりシリーズは、発売当初より、熟練の職人によって一つひとつ丁寧な手作業によって作られています。イサムさんは、この和紙の風合いや陰影によって作られるフォルムに、非常にこだわり妥協がありませんでした。紙を通して見えてくる光の表情や雰囲気は、紙の厚さや使用する楮の色、製造している地域によって全て異なるので、イサムさんと職人が一緒になって紙選びから、紙のシワによって生まれる陰影や竹ひごとの間隔を調整して全体のフォルムを確認しながらイメージを作り、またやり直すという繰り返しの作業によって生まれました。
和紙を通したあかりには人の心が宿っている
イサムさんの言葉で自分たちの中に残っているのが、生活の中には灯りが大切で、灯りの中においても和紙を通した灯りには人の心が入っている。ただ明るいだけではなく、心を動かす柔らかさや優しさがあってその灯りを通した光には心に感動を与える力があるんだよという言葉です。イサムさんの商品を守って作り続けている中で、和紙の光は人にとって大切なものなのだという想いや教えが、自分たちの心の支えになっていて改めて使命感を持って向き合っています。
長年にわたり作り続けていく秘訣とは
日本の誇れる素材と伝統技術を自分たちの手で伝えていくことができるありがたさです。
紙は、海外にもある素材ですが、紙の均一さと透き通るような手触り、伝統的に受け継がれてきた和紙のすごさには学ぶことが多いです。そしてその素材を扱えることは大変有難く、自分たちが後世にこれを繋げていかなければならないという使命感も支えとなっています。
何百年と受け継がれてきた日本の職人の技術や、綺麗な水、楮、竹などの素晴らしい素材と環境に囲まれて私たちは仕事をしています。時代が変わっても流行ではなくして、心で感じることの大切さ、どの時代にも求められる人間の根幹に関わる安らぎを提供していくことを、商品を通じて追い求めることができるのは大変幸せであると感じています。
(談:株式会社オゼキ 尾関守弘 まとめ:JDP)

組ヤスリ
業界標準としての歩み
ツボサンは1928年の創業以来、一貫して金属製ヤスリの生産を続けてきました。ヤスリは用途や目的に応じたさまざまな種類があり、特に粗目から油目まで異なった目を持つ複数本のヤスリで構成される組ヤスリは、ツボサンの基幹製品として長年にわたり支持されています。
「ヤスリの目がほんの少し変わっただけでも、ユーザーはその違いを感じる」といわれるくらいに、細やかな使い分けが求められる金属ヤスリの市場において、変わらない定評を獲得し続けてきました。
1999年には組ヤスリでこの業界としてはじめて、ヤスリのグリップ部に目の粗さの違いを色で識別できる2色グリップを導入しました。これにより、「粗目は赤、中目(準粗目)は緑、細目(準仕上目)は黄、油目(仕上目)は黒」という4色の区分が定着し、他社製品にも広まりました。この色分けにより「黒なら仕上げ用の油目」といった明確な識別方法が確立され、組ヤスリの標準となりました。
さらに環境への配慮として、グリップ部の塗料からナフタレンの使用を取り除くなど、持続可能性を考慮した改良も進めています。
不動の定番品
ツボサンはこの組ヤスリを基軸にさまざまな金属に対応した切削特性の製品を展開しています。それは生産数量にも表れており、大きな変動もなくいまも毎月20万本もの組ヤスリがコンスタントに出荷されているのです。
組ヤスリのもっとも主要なユーザーとしては全国の鉄工所が挙げられます。実はヤスリという道具は「使わないで済むならば使わずにいたい」とされるような位置付けにあり、本来はヤスリを使わなくてもよいくらいの精度があるなら、ヤスリの出番がない方が望ましいのですが、実際には多くのユーザーが組ヤスリを用いた作業を今なお続けていますし、それはおそらく今後も変わらないのではないでしょうか。
時代が求める道具としての組ヤスリ
近年は、これだけ生産現場における作業工程が進化してきた中でも、最後の工程、とりわけ仕上げの工程は人の手で行いたいといったニーズが依然として高く、組ヤスリのような小型の金属ヤスリの需要が増え続けています。自動化や効率化が進んでも、手作業の精度を高めるためにヤスリは不可欠な工具として必要とされ続けているのです。
また、製品に使われる金属構造部材が小型化する傾向もあり、組ヤスリは微細な部分の加工にも適しています。さらに、製品の仕上げにおいてスピードアップや高級感の追求が求められる今のものづくりのトレンドにおいても、組ヤスリの価値が改めて注目されています。迅速かつ美しい仕上がりを実現する上で、ヤスリという道具が持つ優位性は揺るぎないものとなっています。
ユーザーのための組ヤスリであり続けるために
ツボサンのマークが刻まれた組ヤスリは、プロの製造現場から一般の工作、業務用流通からホームセンター販売まで、どのルートから手に入れても常に「一級品」の品質を保っています。これは他社製品にはないツボサンの組ヤスリの強みです。
用途やユーザーの種類を問わず、誰にとってもシンプルで信頼できる品質の製品を提供し続けることを、これからも大切にしていきたいと考えています。
(談:ツボサン株式会社 梶脇 周 まとめ:JDP)

RICOH THETA
世界初でも迷わないデザインで新市場を開拓
RICOH THETAは2013年に発売した、世界初のコンシューマー向け360度カメラです。縦長のスリムなボディと、撮影に必要だったカメラの画角を気にせず、360度映像を記録できることが特徴です。
企画構想は2009年から始まりました。当時、iPhoneが出始めた頃で、ハレの日だけでなく、日常の一コマを撮って楽しむ人が増えつつありました。そんな中、これからは場の雰囲気や空気感を記録するようなニーズが高まっていくと予測。新しい体験価値を提供できる商品を模索している中で、着目したのが360度カメラでした。
プロ向けの360度カメラはすでにありましたが、コンシューマー向けは世界初。普及させるために重視したのは、誰でも迷わず使えることです。カメラの電源を入れてシャッターボタンを押すだけで撮影できるデザインで、設定はアプリで行う設計にしました。
普及の後押しとなったのは、360度カメラの再生環境を各SNSの事業社が取り入れてくれたことです。360度映像を手軽に投稿できるようになり、多くの人が新しい表現を行い、目にする機会となりました。
その後、解像度や動画撮影など機能のアップデートを行いながら、360度カメラという新市場を開拓していきました。2024年現在、販売している最新機種は8代目。タッチパネルを搭載したモデルで、初号機と比べて機能も使い勝手も格段に向上しています。
新しい体験価値を創造する商品開発のお手本
リコー社内でのRICOH THETAの位置付けは、新しい体験価値を創造する商品開発のお手本であり、目標となる存在です。今も進化し続けている商品で、発売してから徐々にビジネスシーンでも活用されるようになり、現在、RICOH THETAの主戦場はBtoB事業へと移り変わりました。企業がRICOH THETAを効率的に活用できるように、「RICOH360」という空間コミュニケーションプラットフォームも開設し、撮影した360度映像をクラウドで一括管理し、撮影環境の開発やデバイスのマネジメントなどの運用サポートなども行っています。主に不動産業界や建設業界のほか、中古車業界や観光業界などでも導入されています。
特にBtoBの需要が高まったのは2020年のコロナ禍です。たとえば、不動産会社のポータルサイトでは、360度映像で自宅にいながら物件を内見できるサービスが広がりました。ビジネスシーンで RICOH THETAを使用するのはカメラの専門家ではなく、限りなくコンシューマーに近いビジネスパーソンです。コンシューマー向けに開発した使い勝手の良さが、ビジネスシーンでの広がりの後押しにもなったのだと思います。
RICOH360ブランドを確立し、360度カメラの文化を醸成
2013年の発売から11年間で、フォトコンテストの開催やファンとの交流イベントを企画するなど、RICOH THETA は360度映像を楽しんでいただく文化を醸成してきました。
これからは「RICOH360」としてビジネス用途での活用拡大を目指していきますが、前述の不動産物件の内見や中古車の内装閲覧などを筆頭に、私たちの生活の一部として360度映像がごく普通に使われ、浸透していくことを願っています。
これからも進化する時代の中で、ユーザーの声に耳を傾け、顧客の体験価値をアップデートしていきたいと思っています。
イノベーティブだからこそデザインの根幹は変えない
メーカーがつくるガジェットや電化製品は、各製品の世代ごとに担当デザイナーが変わることは珍しくありません。それに伴い、デザインのコンセプトも途中で変わる可能性があります。一方、RICOH THETAも何名かのデザイナーが機種ごとに担当していますが、初代で生み出したデザインの根幹となるアイデンティティは大切に継承してきました。
360度カメラは2013年の発売当初はまったく新しいジャンルの製品だったので、世代ごとにデザインを変えず、製品の認知度向上を目指してきました。基本のデザインは、バーのような形状で表裏にレンズがあり、中心にシャッターボタンが設置されていること。そして、カメラをポケットから取り出してシャッターボタンを押せば、すぐに撮影できる。RICOH THETAの守るべきコンセプトを開発チーム全員が認識しています。デザインの根幹となる、ブランドのアイデンティティを継承することは、ロングライフデザインの秘訣だと思います。
イラストのフリー素材で360度カメラの絵のほとんどが、RICOH THETAのようなバー形状で表現されています。360度カメラのデザインの原型として定着している今の状況は、RICOH THETAの最初のデザインコンセプトが長くユーザーに支持されてきた証でもあるように考えています。
(談:株式会社リコー 河 俊光 まとめ:西山 薫)

天才てれびくん
テレビを子どもたちに手渡したい
天才てれびくんの放送が開始されたのは1993年です。日本社会はバブル経済が終わって数年が経ち、連立政権が発足するなど大きな変化の渦中にある時期でした。その一方でインターネットの本格的な普及前夜といったタイミングでもあり、CGをはじめとしたデジタル表現の技術もさらに高度になるなど、メディアやテレビをめぐる環境がいよいよ大きく発展していく機運がありました。そうしたときに、子どもたちを対象とした新しい番組づくりを志したのですが、当時の天才てれびくんの企画書には、80年代末のルーマニアにおける政変に際して、テレビが果たした役割が示されていました。国家が支配していたテレビを市民の手に取り戻したことが、長期にわたる独裁体制からの解放のきっかけとなったこと、そして「テレビが持つ力は大きく、テレビを子どもたちに開放すれば、子どもたちは自由にテレビを使って遊ぶことができるのではないか」という熱い思いがそこには綴られていました。天才てれびくんは、テレビという媒体が持つ可能性を子どもたちへ積極的に手渡すことで、子どもたち自身の可能性を大きく育む番組をデザインしたい、という発想から生まれてきたのです。
「インタラクティブ」がもたらしたもの
番組の開始から30年以上を経過して、その間に社会も子どもたちを取り巻く状況も大きく変化しています。公共放送の役割である「健全な民主主義の発達に資すること」をつねに変わることのない目的として、天才てれびくんは子どもたちへ“家庭でも学校でもできない体験”を提供することでその役割を担う重要なコンテンツとして位置付けられています。現在のNHK経営計画においても、「世界で輝く良質な教育・幼児子どもコンテンツづくり」をNHKが担う公共的価値のひとつに掲げており、この番組は社会にそうした価値をもたらすことをつねに目指しています。
コンテンツとしての天才てれびくんは、当初からインタラクティブな表現を通じた子どもたちとの関係づくりを一貫して追求してきています。そのためにその時々で効果的なインタラクションを成立させる発想やテクノロジーを積極的に取り入れてきました。こうした番組のデザインの姿勢は、天才てれびくんをリアルタイムで視聴して育った世代に対して、豊かな創造の芽を芽吹かせてきました。多くのクリエイターがこの番組をきっかけに生まれてきており、中にはこの番組を観て育ち、いまでは実際にこの番組の制作を担っているクリエイターも存在しています。
技術・表現の変化が続く時代における番組の意義
現在であればAIの発展が子どもたちの将来に大きく関わるテーマになっています。AIはすでに子どもにも関わりが深い技術となっていて、これから子どもたちが成長するのとともにAIもさらに進化していくでしょう。大人ももはやその進化を止めることはできません。それであれば、子どもたちがそうしたテクノロジーといかにより良く関わっていけるか・テクノロジーのあり方をより良い方向へ向けていけるのかを、子どもたちと一緒に考えて実践していくことが望ましいと考え、番組づくりにおいても子どもとテクノロジーとの関わりをつねに意識するようにしています。
これからの時代を生きる子どもたちにとって正当な権利を育めること―「次の世代として自分たちはどんな世界を築いていきたいのか」を自ら考えて、行動していけるように、何よりも子どもたち自身の声を聞いて発信することで、その可能性を引き出すという、天才てれびくんの当初から変わらない姿勢は、ますますその意義を増していると自負しています。
子どもたちは仲間
大人が子どもに寄り添うのではなく、制作スタッフが子どもたちと一緒になって番組を作ってきたのが天才てれびくんの一貫した姿勢です。それを象徴するのが、番組の開始当初から主役として活躍するキャラクターである「てれび戦士」たちの存在です。この番組で取り上げるテーマは歴代の「てれび戦士」たちがその時々で感じることや興味を持つことであり、決して大人が決められたお題を示すのではありません。だからこそ、番組を観る子どもたちは、自分たちとほぼ同年代のてれび戦士たちの感覚をリアルに共有することができます。たとえ時代が変わっても、いつでも子どもたち自身の気持ちや関心がベースであることは、この番組が長く親しまれている重要なファクターになっています。
私たち番組の制作者は、子どもたちのことを仲間であると考えています。子どもたちがテレビという広場で自らの主体性と創造性を発揮して遊んでくれることで、いろいろな体験ができ、子どもたちの考えや意思を豊かに育んでもらえるように続けていきたいと考えています。
(談:NHK 萩島昌平、NHKエデュケーショナル 冨田百合子 まとめ:JDP)

セブンカフェ(コーヒー)
手軽でおいしい、コンビニエンスストアが生んだ新しいコーヒー体験
「本当においしい毎日飲みたくなるコーヒー」を目指して、2013年1月から「セブンカフェ」が始まりました。私たちは1975年からコーヒー市場に注目していて、歴代の担当者は、セブン‐イレブンで手軽に楽しんでいただけるコーヒーを提供しようと、挑戦してきた歴史があります。
セブンカフェは4度目の挑戦で、これまでうまくいかなかった理由の1つは、「味」にあると考えました。シアトル系のコーヒーが主に流行していましたが、海外からのスタイルをそのまま模倣するのではなく、日本人にとって飲みやすいコーヒーとは何かを考え、それをどのように実現し、全国で提供できるか模索してきました。
キーとなったのは「水」で、そのヒントとなったのがカウンターで販売している「おでん」です。日本の水は軟水であり、出汁の文化のある日本人にとってよりおいしさを感じられるコーヒーは、軟水を使って淹れることだと気付きました。そして、1杯ずつその場で挽いた豆をドリップして、淹れ立てを飲んでいただくことを目標に開発を進めました。
一方、さまざまな業務を担っている従業員が、淹れ立てのコーヒーを提供するのは容易でありません。淹れ立てを提供する方法を模索した結果、見出したのが、セルフサービスで一杯ずつペーパードリップして、淹れ立てのおいしさを提供することでした。
今では当たり前になったサービスですが、当時はコンビニエンスストアでのお客様にとって新しいコーヒー体験の提供であり、とても大きな挑戦でした。お客様自らがカップをセットして、豆を挽く音や抽出時の香り、アイスの氷が溶ける音、それを待っていただく時間なども、私たちがセブンカフェを通じて提供する体験価値の一部だと考えています。
“世の中ごと”になったセブン‐イレブンを代表する商材
セブンカフェは、セブン‐イレブンを代表する商材という位置付けです。新しいことに挑戦するセブン‐イレブンらしい取り組みで、2013年1月末に発売後、同年の12月には累計販売数3億杯を突破し、社会に大きな影響を与えることができました。現在は全国のほぼすべてのセブン‐イレブン店舗で提供しています。
販売価格は税込100円(発売当時)とリーズナブルでしたが、淹れ立てでおいしい。とてもインパクトのある商品で、コーヒーの消費行動に変化をもたらすことができました。その実現に欠かせなかったのは、セブンカフェを立ち上げた担当者の熱い思いと高い志です。コーヒーにかける思いが、世の中を動かしたのだと思います。
セブンカフェは佐藤可士和さんがブランディングを手がけ、コーヒーマシンは、操作性と存在感を両立したデザインです。セブンカフェがもたらすベネフィットと心地よさをお客様へ直感的に伝えるためにも、機能性だけでなく、スタイリッシュなデザインであることも重要でした。これまでボタンの位置や液晶画面などアップデートしていますが、シルバーを基調としたデザインは大きく変わっていません。社内には、独自のものづくりのプロセスがあるのですが、セブンカフェはお手本になるような、教科書的な存在でもあります。
もっと便利に、セブンカフェが議論の出発点に
セブンカフェには新しい挑戦がたくさん詰まっています。なぜペーパードリップなのか、なぜセルフなのか、なぜこの価格なのか。それらを実現するために、市場を見極め、便利な商品となるように、さまざまなことを実証しながら、加盟店の皆さんとともにサービスを提供してきました。様々な挑戦の歴史を昇華し、さらに品質、価値を高めていくステージにあるのが今だと考えています。
お客様の日常に溶け込み、コーヒーを飲むシーンやライフスタイルを変化させるまでに至ったセブンカフェですが、これからも時代に合わせて進化しながら続いていくと思います。そして、10年後もお客様の生活をさらに便利にするような存在でありたいと思っています。
セブンカフェはコーヒーをきっかけに、スムージーや紅茶など、新しいサービスの提供も始まりました。世の中をもっと便利にしていきたいと思ったとき、セブンカフェの事例を参考にしたり、議論の出発点となったりする。そんな示唆を提供できる商材であるとも思っています。
チーム全員で共有する提供価値
この商品は何を提供し、それによって何を成し遂げたいと思っているのか。ロングライフなブランドを目指すには、提供価値が明確であることが非常に大事だと思います。
セブンカフェも、この商品を通じて提供したい価値が明確で、「このクオリティでこの価格でなければ達成できない」という意識がチーム全員に共有されています。その結果、妥協することなく、各分野の専門家が目標に向かって挑戦し続けることができるのだと思います。
ただ、全ての商材がロングライフなブランドになれるとは限らないと思います。そもそも、企業を代表する商材になり得るか、市場性や日本の文化なども考慮しながら、定着できるかどうかの見極めは大事なことです。プロジェクトにゴールを定めて取り組むことも必要だと思います。
私たちは高い目標を掲げてスタートし、それを乗り越えていくことでサービスを磨き上げてきました。コーヒーはとても大きな市場です。ソフトドリンクと言われるペットボトル入りコーヒーをはじめ、家庭で淹れて飲むコーヒーや、外食チェーンで飲むコーヒーもあります。そんな市場に、自分たちがどういう位置付けで参入できたら、何が変わって、どういうゲームチェンジが起こる可能性があるのか。初期段階でとことん議論することは、とても重要なことだと思います。
(談:株式会社セブン-イレブン・ジャパン 羽石奈緒 まとめ:西山 薫)